記憶のドア・ノック

月曜日、年上の後輩の送別会。彼はバイト先に入ってきたときに私のことを推していると聞いていて、のちのち「飲み会のとき毎回『山田さん可愛い』ってすごい言ってくる」的な話も聞いて、(あ、そんなにちゃんと推しなんだ)とか思ってたらいつのまにか18歳のモデル事務所所属の女の子にガチ恋してるからどうなってんねんと思っていたら、「いや今も推してる!」と言われたので安心して眠れた。「本当に幸せになってほしい」と言われたけど、私は放っておいてもどうせそこそこ幸せなので君の方が頑張って、と思いました。


火曜日は在宅勤務を会議中寝落ちたりしながらそこそこでこなし、夜は友人と新宿御苑の方のイタリアンを食べに行く。ご飯も店主もお店の雰囲気も狭さも場所もとても良くて嬉しかった。予約するときに「誰かの紹介ですか?」と聞かれたのだけど、という話を友人にしたら、「最近はこの状況もあって基本的に常連の人しか入れてないんですよ」と言われてラッキーだった。

昨日の一番の映像的な記憶は、新宿に向かって歩いているときに足元に目の前を横切るゴキブリを見つけて、友人が踏むか踏まないかのタイミングで歩いていて、伝えようと思ったけど向こうずっと喋ってるし咄嗟に声が出なくて、腕引いて止めるか悩んだけどそういう距離でもなくてひとりであたふたして、最終的に祈りのフェーズに入ったときの記憶。踏んでなかった。多分あれはスローモーションだった。

あと、1ヶ月前くらいに会ったときに友人が「次があるなら」とかいうわけのわからないことを言っていたのが、今回は「多分あと2.3年くらいは不安定だからよろしく」と言っていたのが可愛かった。


今日は、本当になにも仕事がなかったのでゴロゴロしたり寝たりしながら過ごした。『テレビ千鳥』の映画ポスターパロディがめちゃくちゃ面白かった。

昨日友人とTwitterのファボ欄を見る見ないの話になって、久々に自分のファボ欄遡ったら最高だった。あと自分の「人といると気丈に振る舞ってしまうためひとりになったしゅんかんしぬ」というツイートがお気に入り欄にあって天才かと思った。

ブログの文章よりツイートの文章のほうが良かったんじゃないかという悩みは、ブログの文章は気丈な側で、ツイートの方が(完全にではないけど)素だったからだなと思った。

ファボ欄遡って、毎日書く理由は、感情や環境はいつのまにか変遷しているから、そのときのことをいつか同じようには思い出せなくなるからなんだなとも気付いた。あとそれを読むのが楽しいから。変遷じゃなくてただ蓋をしていることも沢山ある。もっと素直に書いた方がいいんじゃないかみたいなことがいっぱいあるけど、書けないこともいっぱいある。


まだ頭がふわふわしていて、考えてることが沢山あるけど書ききれない。指が追いつかない。きっと今週は書ききれなくてふわふわなまま終わるんだろうなという予感がする。お腹が空かなくて困る。

このあとの予定はオザケン聴いて号泣することです。