あげたり止めたり愛してみたり愛されたり

SE 2nd発表ありましたね。サイズも大きくなってるし、デザインもいまのSEのほうが可愛いんだけど、まあ買い替えかなあ。画面側の色が黒に統一されてるっぽいからカラーは白もアリだけど、シャンパンゴールドのときもローズピンクのときも頑なに黒にこだわってきたし、今回も黒か。


日々のことを毎日ぶつ切りにブログに書くのにも慣れてきたし、もうちょっと書こうと思って書こうかな、という気持ちになっている。書こうと思って書こうと思ったら、なにを読めばいいんだろう。読む視点が変わりそうで楽しみ。

多分、このブログも最初の頃はなんとなくひと続きで書いてたはずなんだよな、と思って読み返したら、結構面白かった。なんでやめたかって、書くことがないわりに記録が溜まってくからだってことも思い出した。以降は怒ってるときか、悩んでるときしかひと続きで書いていない。まあ日記だから、1テーマで書くほどの縛りは設けなくてもいいと思うんだけど。


毎週同じものを観て、聴いていると、あれがよかった、これがよかった、くらいな感想になりがちだけど、もっと感情を深掘りしなきゃいけないのだろう。怒りや悲しみについてはいつまでも分析しているけど、なぜ楽しいかの分析ってあまり深くしないな。楽しいことは楽しかったでいいじゃんって、あるとき思った記憶はあるのだけど、なぜその結論に至ったのかは思い出せない。

いま考えるなら、怒りや悲しみの原因分析は言わずもがな、どうしたら楽しいかを考えることも建設的だけど、なぜ楽しいかは楽しいという感情以上のものがないからだろう、と考えるけど、この思考回路に覚えがない。し、なぜ楽しいかは楽しいという感情以上のものがないのかどうかはわからないな。だからまあ、これから考えてみるか。時間はいくらでもあるのだ。


佐久間宣行ann0、なんだかんだいつもと変わらない、というか結構楽しんでる様子の佐久間さんのオープニングトークを聴いて、なんとなく安心した。この状況、乗りこなしてる人も普通にいるし、乗りこなしててもいいんだよな、みたいな。

ただ、私は本当にこれ以上1人に慣れたくないので困る。乗りこなせているけど、一人暮らし、実家でテレビやラジオ聴いてたときよりさらに声を出して笑うようになったし、歌うのはいつものことだったけど、なんか1人で喋るようになったし、刻一刻と狂気に近付いている気がします。

普通に愛し愛されて生活がしたいし、いろんなことを共有したいよ。


友人と酔っ払って歩きながら歌ってたとき、ロマンティックはあげるのか止まらないのかで分かれて(私はあげるよ派だった)、「たしかに愛されるよりも愛したいマジでって言ってそうだもんね」って言われたことを思い出したけど、全体的に古いな。

それについては何度も考えてみたことがあるけど、気がつくと愛している派なのでわかりません。愛されたいと思ってるほうがいいんだろうな、なんか。