歩く

人身事故により電車が最寄りの数駅前で止まったので、一杯だけ、と思っていた最寄りの一駅先でやっているらしい飲み会をキャンセルして徒歩で帰る。なんて賢明な判断。明日簿記なかったら歩いて40分かかっても行くんだけど。

いや、明日簿記なのに「やってるよ」と言われたら飲みに行こうとしてる時点で賢明でもなんでもないか。


電車を降りて甲州街道沿いを歩き始めると、結構な人数がぞろぞろと歩いていて、なんとなく東日本大震災を思い出した。

こういうとき大人はタクシーに乗るものだと思っていたけど、歩く人の量を見るにそうでもないらしく、人混みを歩く煩わしさはあるが、少し嬉しくなる。

「みんな歩いて帰るんだねー」なんて話してる人や、友達や恋人に電話している人がいて、なんとなく幸せな空気だった。土曜日で、暖かい夜だったからだろうか。

 

思えば同世代でもタクシーを使う派と歩く派に分かれる。お金の有無じゃないらしい。

私が思うにベストカップルの友人夫婦は、旦那さんは歩く派だけど、奥さんが歩かないので一緒のときは歩かなくなったと言っていた。春日とクミさんは、箱根にロマンスカーで行くかどうかでもめたらしい。

他者と生きるということは、そのレベルまで価値観をすり合わせる(というか譲り合う)ということなのか。なんとなく、効率的で普通っぽいものに吸収されていくのかなあ。


そうでなくても、私はいつまで混雑を回避するために各駅停車に乗って、できるかぎりぼんやり窓の外を眺めるために乗り換えの少ないルートを選ぶような生活ができるのだろう。気力や体力や時間や。

昔は大人になったらできなくなるものなのだと漠然と考えていたけど、明らかに東京に消費されている、と旅をしていると思う。抗いたい。