2022.08.03

 私が人間は死の恐怖から逃れられないこと(最後には生にしがみついてしまうこと)に対してかなりの絶望があるのは、それを体験として実感してることが大いに影響していて、その体験がいまの自分を形成する大きなものの一部だからだと思う。だからこう変わったと言語化はできないんだけど、人生で一番死にたかった時期に塾の帰りに自転車に乗っていて、まったく車のいない見通しのいい甲州街道を横断歩道の押しボタンを押さずに渡ったら猛スピードのトラックとバイクが同時に走ってきて(まったく車の気配がないところからだったから、本当に相当なスピードだったんだと思う)、あ、これトラックだと死ぬなあと思って、何も考えずに自然とバイクの車線に突っ込んでいてバイクに轢かれたんだけど(自転車が曲がって、あと膝をがっつり打った程度だった)、あの本能の「死にたくない」という強烈な感覚は本当に忘れられない。ああ生きたいんだなと思ったし、ああ死ねないんだなとも思った。事故はよくないけど、あれはいい体験だったなあと思う。

 ちなみに死にたいと思わなくなったのは事故があったからじゃなくて低容量ピルを飲み始めたからで、ホルモンってこわいねーというやつ。そっちの(ピルを飲んで死にたくならなくなる方の)体験は私の妊娠への恐怖に繋がっている気がする。妊娠を希望したらピルは飲めなくなるし、妊娠したらホルモンバランス乱れまくるし、あんな感情の渦に飲まれる生活なんて絶対に耐えられない。普通に自殺するんじゃないかと思う。だから竹内結子の自殺がすごく印象に残っていて、自分もそうなるんじゃないかという恐怖とともにずっと引きずっている。


 タイムリーに同期と結婚、妊娠の話になる。「自由な時間とお金あるのいまだけだよね(一生独身の可能性はおいといて)」「そうね、あと不妊治療してた先輩複数から『子どものことは早く考えたほうがいい』って言われたりして焦る」「いまは子どもいらないと思っててもリミット近付くとほしくなるとか聞くしね(本能??)」「本能もうちょっと上手く働いてほしい。というかリミットが短すぎる」「それな。卵子凍結とかしたほうがいいのかなとか思うよね」という。卵子凍結まで出てくると本当生々しいなと思うけど、わざわざ凍結する卵子としてはそろそろ決めておきたい気もしてうへぇ、となる(どうせ凍結保存するなら30歳の卵子より26歳の卵子だよなあ)。


 推しとのご飯は焼き肉じゃなく私のリクエスト通りピザになり、軽くだけどドレスコードがあるお店だったのでその日にフェラガモのバッグ下ろそうと思う。