途切れることの寂しさ

昨日は友人からのブログ抜粋LINEがなかったな、と思ったら、「ドライブ中のプレイリスト別解盤作りました」と寝ている間に共有されていた、EGO-WRAPPIN『midnight dejavu』から始まるプレイリストの説明文が「鳴らない鐘に飽きた夜に 長靴のリズム、心で酔いましょう」だった。彼は人が喜ぶことを察知するのが本当に上手いなと思うし、それを馬鹿正直に実行することを苦としないので、バイト先の主婦が「ちょっと胡散臭いよね」と評してたのもわからんでもない。

友人と彼の話をするとき、必ずその二面性の話になるけど、こっち側とそっち側の二面性なんじゃなくて、もっと高次元の、生粋のエンターテイナーなんだな、というのが最近の私の結論。私も含めて、彼の周りの人それぞれが、本来の彼は自分に近いところにいると思っているような気がするので面白い。


せっかくなので、そのプレイリストを流しながら活動を始める。ソウル中心(?)のプレイリストは夜みたいだったし、羽毛布団を洗濯して干したら休日みたいだった。


夕方。切れそうな洗剤や米、切らした牛乳を買いにスーパーへ行く。いつもトレーと牛乳パックを持ってき忘れる。そろそろ人に会いたいのは、最近けもなれを見ているからだろうか。

帰ってきていつものように夕飯を食べながらけもなれを観ようとしたら、TVerの無料配信が6話から10話に入れ替わっていて悲しい。代わりにテレビ千鳥を観た。笑った。でも楽しい習慣は2日で習慣になってしまうから、やっぱり寂しい。


浴室乾燥を使って干している羽毛布団が全然乾かないのでお風呂に入れない。ので、コーヒーを飲みながら本を読む。友人に部屋の照明がエロいと言われたけど、この部屋で本を読んでいると落ち着くので、やっぱりこういう照明にしてよかったなと思う。

言葉が足りないので『光と私語』を注文した。