2021.03.10

 仕事は午後からだけど9時前に起床。洗濯機を回して洗濯物を干してから実家へ。リングフィットをやって、前回諸事情で置いて帰った自転車に乗って帰宅。花粉で死ぬ。


 午後出社。今日も20時終わり予定が22時。けど明日も午後出社なのでまあ気楽。


 金曜日の午後が研修なので、「緊急事態宣言明けたら飲み誘おうと思ってたけど、明けそうにないから研修のあと宅飲みしません?」と同期の女性陣数人を誘ったんだけど、結局男女混合になってぬぬぬとなっている。いやむしろ話が合うのは男性陣だけど、女子と仲良くしておきたいという不純な動機の会だったんだけどな。

 女性と仲良くするためには基本的に単純接触の頻度を上げることが有効な気がしていて、友達に対してそういう戦略的なことを考えるのとかいやだなと思うし、性別にとらわれた外側の価値観起因の動機とか本当に最悪だと思うけど、マジでそうは言ってられないくらい女友達が少ない(どんどん疎遠になっている)。思い返せば学校とかバイトとか、定期的に顔を合わせる環境でしか同性の友達がいたことがない。どう考えても自分に原因があるのだと思うし、本当にさっすがに気にする。まあ気にするのは、同期の気が合う男の子とはまだ性別の壁を越えられるほど(向こうが気にしなくなるほど)仲良くはなってないところが多いにあると思うけど。本当にだるいので早く性別という概念を越えたい。


 この前ドライブに行ったとき、「モテるためにしてきたことってある?」と振られて「いやむしろモテたくなくて気をつけてきたことの方が多いからなあ」と話したりしていて気付いたけど、多分やっぱりモテるのがあんまり好きじゃなくて、でも異性なら「キモい/怖い」で終われるんだけど、同性だとすぐ割り切れないから、女の子と全然仲良くできないなあと感じている気がする。異性に対しては「ちやほやされるのを楽しめたり、それを利用したりできる人は羨ましいけど私にはできないな」と思えるのだけど、同性に対しては一緒にきゃっきゃできる幻想が捨てきれない。女の子同士が「え〜可愛い〜」ってやってるの超楽しそうで羨ましいけど私はやっぱり苦手で、同性だろうが気が合わない人と仲良くなるのは無理なんだということを自覚しなきゃいけない。向き合うべきものは常に自分のなかにあるなあ。

 なにかを捨てなきゃなにかを得られないという生き方をずっとしてきている気がする。なにかを捨てるとは本当に大切なものを諦めることではなくて、それが本当に大切なのかを疑う行為だけど。


 初めて花粉症で頭まで痛くなっている。辛い。寒さと日光不足による鬱はもう完全になくなった。ただひたすら花粉。


 久しぶりに東京ポッドを聴いたけど、相変わらずめちゃくちゃ面白かったなあ。「生活の死角」という言葉がよかった。

 友人に「好きな芸人がコーナーにしてるからって急に『ワーキャー』とか言うのやめなよ」と言われたけど、私は感情とか抽象的な物事に気持ちよくピタッとハマる言葉を当てられる人のことをめちゃくちゃ尊敬しているので、かなり意識的に、素直に人の言葉を流用するところがある。自分のなかではそのまま使うことが敬意。「ワーキャー」は「キラキラ」とか「大衆的」とかより馬鹿にした感じ(知性からの見下しという感じ)がなくて、ポップで好きなんだよなあ。これは自分のワーキャーに対する憧れ(ワーキャーしてる人たちは楽しそうだなと思う)に起因するのかもしれない。