2021.12.29-30

 友人にモーニングを食べるという予定で午前中に外に連れ出してもらい、別の友人に突然東京から連れ出してもらった。ずっと8割くらいまでしか回復しなかったMPが全快した。本当によかった。やっぱり私は定期的に東京を離れる必要があるらしい。

 モーニングに行く前日の夜に友人から「明日から一泊で大阪行かない?」と連絡が来て「行く!」と返信したはいいけど全然眠れなくて、急にすごく嫌になって、どうやって断るか布団の中で考えてちょっと泣いたりしてて、で、起きたらなんか意外とスッキリしてたからそのまま出かけたんだけど、本当に行ってよかった。有名人の自殺のニュースに対して「死ねた人っていいな」とずっと思ってたし、やっぱりどっかおかしかった。

 こんな激重のヘルプを人に出せることは多分今後もないけど、なんやかんやのタイミングで連れ出してくれた友人にとても感謝している。大阪で友人と飲んでいるときに「後輩を可愛がるのは先輩から受けた恩を返したいから」という話をしたけど、それでいうと私の「できるかぎり双方の負担なく相手を無邪気に掬い上げられる人間でいたい」と思うことはこういう人たちに対する恩返しだなと思う。そしてそういう風に生きてきたことが循環して今回は自分を救ってくれたのだなあ、と。

 新年を前に改めて自分の生き方の指標を再確認できてよかった、というのが自分の中のことで、友人に対しては「ありがとう」と「また行きましょう」しかない。慢劇で「か!ら!あ!げ!4!!!!」「4!!!!」も出たし、気持ちよく年を越せる。


 帰ってきて『三体』の暗黒森林を読み終わった。まだ続きがあるからわからないけど、私は結局のところ愛という概念を気に入っているので、愛に収束する話が好きだな。『デッドプール』とかもすごく好きだった。


 愛とか、人と関わる意味とか、そういうことへの理解がかなりできてきた一方、私はほかの人に比べてかなり独りということへの耐性がある(というか動物としてそれへの感度が低いという欠点だと思う)ことにも最近気が付いたので、意識的に理解を実践へ拡張していかなければいけないということがわかってきた。

 まあ余裕があると言えなくはないし、多分孤独に振り回されて突っ走るより理性で実践することのほうが私には向いているので、やっていくしかない。油断すると殻にこもってしまうので昨日と今日のことは忘れない。

 あとなんか、なんでも説明してしまうので理論の検証のためのいまなのかと思われてしまうかもしれないけど、私は理屈抜きで好きな人のことが好きです。一応。


 しかし好きな人は好きとはいえ、今年は諸行無常を感じる一年であった。少しの違和感は見過ごせないほどに大きくなることもあるし、いつかまたなにかのタイミングが回ってくることもあるので、無理してしがみつかず淡々と先に進むしかない。

 友人という関係は、一ヶ月連絡を取らなくても、三ヶ月会わなくても、そう思ってさえいればずっと友人でいられるというところが好きだな。


 大阪の旅行のことは、もともと年末に大阪に行く予定にしていたときに書いていた紙のノートに書くだけにして、ここには書かないような気がする。わかんないけど。