2021.01.21

 7時半起床。昨日疲れたので今日は10時出社にしたけれど、7時前に一度目が覚めたのでちょっともったいなかった。でも目が覚めたのは6:51で、目覚ましはいつも6:45にかけてるから、多分よかった。ということにする。

 すごくぼーっと、たまに止まったりする時間もありつつ準備。グッタリとベッドに入って寝るときは、すぐに眠れるし、睡眠の質の良さを感じるけど、ずっとこういう生活するのは絶対おかしくなるよなと、一日体験するだけで思う。


 通勤時間にラジ父。伊藤のラジオから電話かけられ慣れっぷりに笑う。あと川北が「嘘松」という言葉にずっとハマってるのが面白い。

 アフタートークまで聴いて「面白い芸人手っ取り早く知れるんだ」と思って小沢さんの芸人打順見にいったら、自分のいる界隈ではすでにめちゃくちゃ流行ってるバンドが朝の情報番組で「来年流行る」と言われているときの気持ちになった。まあそこまでではないけど、そのへんね、と思った。普通にしてれば情報を得られる範囲の芸人しか知らないと思ってたけど、お笑い変態に片足つっこんでる側だったんだなあ。

 同期に「お笑い詳しくなりたいんだよね」と言われたことがあって、知らんけどと思いながら「そうなんだー。まあ、頑張って」と言ったりしてたけど、自覚なき変態には勝てないと痛感した過去の記憶が蘇ってくる。そのときは「なりたい」と思ってしまってる時点で私レベルのコンテンツ量さえ追えないだろうと思っていたけど、これもまた無自覚変態あるあるでダメですね。


 私は「こういう人間になりたい/好き」像がズレがちな自覚はしていて、ゆえにその方向を目指してやってることがズレがちな自覚はあるんだけど、そもそも息をするようにやっていることもかなり変態ですよってところは自覚がないことが多くて、最近はたまに知覚を修正して自覚する場面に遭遇する。「変わった人がかっこいい」という荒い解像度の憧れのままだったら、逆にナチュラルボーン変態な部分には気付けなくて、武器として使えることもなかったし、それで人を沢山傷付けていたので、気が付けるようになってよかった。

 それはそれとして、変態は変態なりの悩みがあるんですよね。ど変態は世の中に沢山いるので。まあでも今はその記憶があるだけで、葛藤自体はもう大学生のあいだに抜けたけど。ど変態領域はど変態に任せる。「あなたもど変態ですよ」と言われることがあれば、それは喜ばしいことだ。


 帰りの電車はPK Shampoo。録音の粗さと、歌い方の粗さと、歌詞の粗さがマッチしてていいような気がする。具体的にここが好きって説明できないけど好きだな。


 帰宅。昨日のタッカンマリのシメのうどんの残りのスープをお米を入れて炊いて最後まで食べきった。美味しかった。そのうち丸鶏でやってみたいなあ。

 スーパーにそら豆が並ぶ時期になったので、そろそろそら豆の葱油炒めを作りたい。なぜかそら豆ってあんまり食べる機会ないけど、枝豆よりそら豆のほうが好きだなーって子供の頃からずっと思ってる。


 定期的にこの日記を読んでくれている、おそらくはてなブログのみの繋がりの人の日記が更新されていたので読みにいく。彼女は(「彼氏が家にきた」と書いていたので女性かな、と思ったけど男性かもしれない。どちらでもいいけど便宜上彼女と呼びます。嫌だったらごめんなさい)読書が好きみたいだけど、読んでいる限りあんまり共通点は見つからなくて、でも毎日料理してるんだな、とか、番組は違うけどラジオ聴くんだな、とか、大阪に住んでるのかな、とか、だんだんわかってきて面白い。SNSですぐに人となりがわかって、共通の友達や趣味がわかって、という世界に慣れてしまったから、なぜかその人と出会って、じわじわと見知らぬ相手を知っていって、その人も私の日記を読んでくれているという事実は、不思議でくすぐったい気持ちになる。

 私はテレビもSNS(ほぼ)もなければウェブニュースも見ない世界で、それでも入ってくる情報分だけで生きていて、彼女はコロナのニュースをいつも客観的に記録していて、数日分まとめて更新されるから、ディストピア小説みたいで面白い。いまここがディストピアなんだけど。私は怒ったり失望したり、ばかりになってしまうから、情報も入れてないしあまり書かないようにしてるので、そういう書き方もあるんだなと思う。読み返すとき、きっとそっちのほうが面白いんだろうなあ。

 私の友人も、最近過去の日記をまとめてあげるようになったので、彼女や友人の日記を読むときに、私はなにをしてた日だっけと思い返すのが楽しい。同じようなことしてたり同じようなことを考えていると、いっしょだねーと思うと同時に過去に感覚が飛ばされるような、変な気持ちになる。