2020.01.12

 起床。天竺鼠川原が2020 M-1を語る動画は前に観ていたのだけど、「M-1グランプリ2020を語ろうon the 和牛川西」という動画が出ていたので観る。川西と二人でM-1について話すのかと思ったら、本当に「on the 和牛川西」で、元の動画も笑ったけど二乗くらいで笑った。

 

 最近なんとなくなんとなくすぎて、新しくさわれるタイプのペットでも飼おうかなと考えたけど、やっぱり魚と猫が好きなので、猫が飼えないならあまり他はピンとこない。爬虫類も好きだけど、やっぱり次はふわふわか温かいやつがいい。いっそ水槽増やすか、とかも考えて、結局いまの水槽のレイアウトを変えて魚を増やすことにした。手を動かしていたいだけなのだろうか。

でも、実家にいた時から薄々は感じていたけど、やっぱり気を抜くと一瞬で部屋が動物王国になりそうである。

 

 最近また遠藤周作『沈黙』を読む手が進むようになってヨシ。やっぱり生活をしていてうーんと思っている時期じゃないと、数十年の月日に耐えうる強度の本に立ち向かえないのか、とふと思ったけれど、自分がいつどんな本を読んでいたかを振り返ると案外正しいのかもしれない。いまはそういう本の時期なんだなあ。

 じゃあ腰を据えて古典を読むか、というと新しいコンテンツはどんどん更新されていくし、たとえばTVerradikoは消えていくし、というのが現代の難しさなのだけど、私はもうそれを捨てる方向に舵を切ることにしたのでいいのだ。新しいものに対する拒絶反応があるわけじゃなくて、単純に食指が動かないだけだから気になったものは取り入れるし、それを取り入れる時期が最先端じゃなくていいと思ってるし(もっといえば、最先端を取り入れたいと行動している同世代が取り入れてる情報すら別に最先端ではないと思うし)、自分の世代に縋り付いてるわけじゃないからいいかなって。あと、最先端をまったく追わないことを焦らずに腰を据えて土台が作れるのも、若者の特権かなって。まあ最終的にはいつも通り、私はバランスの悪い人が好きだし、かっこいいと思うし、好きな人だけ好いてくれればいいやと思うし、あとこれは加減はあるにせよ、ぱっと見そうは見えなくても、やっぱり自分の軸がある人が一番幸せな時代な気がする、という話。

 

 とか言いつつ、今日も色々観て聴いたけど。

 いつのまにか角瓶のCMの小雪井川遥の全バージョンがまとまった動画をそれぞれ観ていて、普段ハイボール全く飲まないけど完全に揚げ物とハイボールの口になった。お店のカラッと上がっててジャンクでしょっぱめな揚げ物にソースかけて食べたい。というか串カツ田中でいい。もしくは高円寺あたりで雑でよい居酒屋探したいけど、そっちはさすがにリスク高そうだなあ。

 

 今朝、8時くらいにiPhone12miniが届いて、でも楽天で注文した画面の保護フィルムがまだだったし、もともとついているフィルムが透明じゃなくなっていたので、保護フィルムが届くまで待つか、と開けずにおいていたのだけど、夕飯の洗い物をして戻ってきたらiPhoneSE(第一世代)がなにもないのに振動し続けていて、電源切ってもダメで、震えるiPhoneを操作して急いでデータ移行をした。危なかった。やっぱり余裕もって買い替えないと怖いところが怖い。

 「iPhoneは黒」を10年くらいこだわってきたのだけど、iPhone12の黒があまりかっこよくなかったのと、青も迷ったけど思ったより彩度が高い青だったので(もっとシックなネイビーだったら迷った)緑にした。可愛い。サイドのアルミ部分の色がとても好き。

 サイズはiPhoneSE(第一世代)より少し大きいくらいなのだけど、私の手には大きくて、左端はギリギリ、左上は届かないので、やっぱり若干しんどい。

 新しいiPhone買ったよ報告で鏡越しに自撮りした写真をストーリーに上げたら、友人が「山田さん手綺麗だよね」とコメントくれてうれしかったけど、私は自分の手があんまり好きじゃないんだよなあ。