2020.11.17

研修に急激に飽きて(講師の講義と講評が退屈だった)、読み終わらないんじゃないかこのブログという量の膨大な数の文章が残っているだろうと、いよいよこの時が来たかと意気揚々と第三インターネットに乗り込んだら、ほとんどの文章が消されていて泣いちゃった。夜電波を聴き終えたらのつもりだったけど、月額500円に毛が生えた程度を払おうと思う。リアルタイムで読んだほうが面白いと思うし。

ちょっとだけ残っている文章を読んで、ああ、菊地成孔って『セッション』のときに町山智浩と喧嘩してたジャズミュージシャンか!と気づいた。

私は『セッション』は(ついでに言えば『ラ・ラ・ランド』も)全然いいと思わなかったので、町山の言ってることはズレすぎてるし、このジャズミュージシャンの言ってることにほぼ同意だけど、しかしこの人も頭おかしいなと思っていたので、あれが菊地成孔だったのはとても納得。あのときのジャズミュージシャンは女性だと思っていたけど、成孔が読めなかったのと菊地凛子に引っ張られたんだろうな。

あと、ブログで寺島靖国のこと軽くディスってて(というか寺島靖国菊地成孔をディスったんだと思うけど)、こないだ寺島靖国の店で菊地成孔の本読んじゃったよ、と思った。なんか直感的に、ここで菊地成孔の本読むのってどうなんだろう、と思ったけど当たってたのね。ジャズ好きな人に菊地成孔の名前はうかつに出さないほうがいいんだろうなとはなんとなく思っていたから、ジャズ喫茶で菊地成孔の本読むの微妙だなと思ってはいたし、なんかその喫茶店に並べてある本(寺島靖国の著作)の圧もすごくて、ん、と思ったのでした。

別に誰に何を言われるわけでもないし(というか誰もいないし)、あそこで菊地成孔の本読むのも面白いかなと思ったけど、コーヒーもココアもなかったし、やっぱり基本はDUGに落ち着くのかなあ。新宿まで行かなきゃいけないという距離も気に入ってるし(しかも新宿の喫茶店なのにいつも座れる)。あと選曲も音量も音質も、あとライトが不安定に明るくなったり暗くなったりするところも好き。


洗剤を買うために新宿で降りて、でも今日はDUGには寄らないつもりだったのに、夜電波ソウルバー公開収録回を聴いている調子の良さと、全然寒くない苛立ちと、最近いい感じでお酒が飲めてない苛立ちで、結局足がDUGに向かってしまった。

無駄に甘いだけなんだよなとわかっているのに妙にカルアミルクが飲みたくて、腹を括って頼んだら、シェイクで出てきたカルアミルクは甘いけど甘すぎなくて美味しかった。そういえばチェーンの居酒屋かカラオケでしか飲んだことなかったな、カルアミルク。

文學界 JAZZ×文学特集』が置いてあったので読む。筒井康隆は『旅のラゴス』しか読んだことがなくてあんまり好きじゃないなと思っていたけど、これに載っていた『ダンシングオールナイト』は面白かった。というかこれほぼ夜電波だな、と思ったら次のページの山下洋輔×菊地成孔の対談で「山下・筒井文化圏に影響を受けた」「筒井康隆の小説はジャズだ」という話をしていて、だよね、って。

中島らも中原昌也がごっちゃになっているので、ああ、中原昌也は生きてるのか、中島らもは死んでるのか、といつも思う。

いろんな人が書いている見開き1ページのJAZZ×文学 エッセイのページは、それぞれ行間やフォントが違って、作家本人の意思が介入しているものなのか気になる。


いろんな人の色々なものを読んで、出てきた作品やなにかをどんどん見聞きする生活を長らく続けていて、私は全然なにも知らなくて人の真似をしているにすぎないとずっと思っているけど、他人からは何者かに見えるのだろうな。

タイトルが目を惹くのはわかりきっていたので表紙を伏せて置いていたのに、「なに読んでるの?」と今日だけなぜかいろんな人に聞かれて、『服は何故音楽を必要とするのか』の意図と結論を何度も説明することになって、その度にすごい感心されて、ああ…、って。

同期が5万のジャケットを買った話をしていて、「だから今月飲みに行ってないんだよね。菜央ちゃんは何道楽なの?」と聞かれて、答えられなかった。

「このジャケット(オイルドジャケット)をスーツに着るのが流行ってるんだよ」「え、どの国で?イギリス?」「日本だよ!ジャケットはイギリスのだけど…」とか言って、ああ、そういう適当な感覚だけが…、と思った。

全体的に落ち込むというより苦笑。


11月14日から、なんか書きたい!けど書いても満足できない!というか自分の文章が上滑りしてて全然読めない!という症状が一瞬あって、更新しない文章をメモに書き殴って(これは本にするときに追加しようと思う)、日曜日に友人に会って、ずっと誰にも言わなかった話をして、某日以来スマホですら一枚も撮っていなかった写真を撮って、某日以来ずっと開けなかったカメラロールを開いて、音楽をやろうって言って別れてその日以降、なんかとても生きてる?生活をしている?感じがする。なんかすごい、ずっと楽しいけど、粒が立った楽しさを再び拾えるようになったような。

文章でなんか違いが伝わってるのだろうかと読み返してみたけどわからなかった。そういうのは往々にして他人の方が気付きやすいものですよね。