2020.10.28

日記の製本、コピー本は難しそうだし意外と枚数が多くなりそうでなんとなく断念していたのだけど、ふと業者に頼む料金を調べてみたら、1冊から作れるし思っていたよりかなり安かったので、せっかくだしと準備を始めてみた。

淡々とはてなブログからワードにCtrl+A、C、Alt+Tab、Ctrl+S。エンジニアなのだからなにか上手い方法でパッとやりなさいよと途中で思ったものの、どうしても今やりたい気持ちだったので。


手作業で移すことで見えるタイトルや冒頭の文章だけで、書いていないけどこの頃は相当ひどい気分だったなとか、書かなかったけどこういうことを考えていたなとか、思い出せるからすごい。でも当時はあんなにひどい気分だったのに、もう客観的な情報としてしか思い出せなくて、ちょっと寂しいやらなにやら。

きっと悲しさを忘れてしまったことにも気付かないまま生きている人って沢山いるんだろうなあと思うと、私は書いててよかったと思う。忘れないつもりでいても忘れてしまうし、変わらないつもりでいても変わっていくことを知れたから。あと、大切にしている思い出や言葉が変わっていることに気付いて、なんて薄情な人間なのだろうと思った時期もあったけど、ちゃんとそのときの感情を振り返って、そのときの自分にとってとても大切だったもの、という箱にしまっておけるようになったから。


夜電波が流れている時間しか息ができないようなそういう生活があったことも、なんであんなにのたうち回るほど苦しかったのだろうとしか思えなくなる日が来ると思うと笑える。こんなに必死に生きてるのにさ。人間は忘れることで生きていけるのだなあと思う。

ただ、馬鹿みたいに苦しかったときにずっと寄り添ってくれた人たちが全員、確実に私より先に死ぬという事実だけは本当に勘弁してほしい。菊地成孔死なないでくれ。

と、思うのも、回復に向かう段階での癖だなと最近気が付きました。