大阪から帰ってきた。満足感でホクホクした気持ちを家まで持ち帰って、明日からも頑張ろうと思えるだろうという旅行前の期待とは裏腹に、ずっと茫然としている。
昨日は22時半に自宅について、何も考えず、茫然としたまま洗濯機を回し、シャワーを浴びて、カバンの中身を事前に準備しておいた仕事用の荷物に入れ替えて、洗濯物を干して寝た。
朝も5時半のアラームで目が覚めて、眠たかったけどなにか考えたら止まってしまう予感がして、やはり茫然としたまま顔を洗い、着替えて、化粧をしたら6時10分で、予定より30分以上早かったけれどそのまま家を出た。
昨日の新幹線の中で、今日は踊り場を聴きながら帰ろうと思ったのに、聴けないままだった踊り場を聴きながら出社する。空気階段の2人の声や会話を聞いているといつだって幸せな気持ちになれるからすごい。
少し余裕が出てきたことで、逆に、こんなにいろんなことを考えずにやり過ごしてやっと生きていけるような生活をしていたんだと再認識した。
早く着きすぎたし、あまりにも眠たかったので日比谷公園で30分ほど眠った。
会社でぼんやりと資料の英訳作業をしながら、とりとめもなく昨日までのことを思い返した。思い返しているうちに、昨日までの3泊4日はパラレルワールドのような感覚が強すぎて、こんなにぼんやりしているのだと気づいた。
大阪に行ったわりに大阪っぽさに強くこだわるわけでもなく、でもやることもないのである程度定番は抑えてみるという旅は仕方はいつものことだけど、正直に言えば2人で旅行に行くことに、客観的に見て違和感がないとは言い切れない友人との、初めてにしては少し長めの旅行のなかで、緊張感が消えていく過程と、少しだけ街を感覚で歩けるようになって、旅先に退屈が生まれて、日常と緩やかに混ざり合っていく感覚の親和性があまりにも高すぎた。
大阪であったかもしれない生活を思わせるには出来すぎていたでしょう。ずっと1人でいることよりも人といるほうが日常としてよっぽど違和感がない。違和感がない生活をしていた。友人は目覚ましのアラームで起きていたから違うかもしれないけど、私は自然に起きていたし。
向こうで読んでいた佐藤正午『月の満ち欠け』は生まれ変わりの話で、強く願えば自分のままで生まれ変われるなんて羨ましいと読み終えて思ったけれど(私は、私が私のまま、記憶を覚えていられるなら、死んでも全然かまわないとずっと思っている)、生まれ変わりがあるとして、どうせこの主観は私の中の人生の一つでしかないのだとしたら、パラレルワールドをパラレルワールドとしてあきらめるよりも、後先考えずに後悔しないように生きるべきだなと思った。本当に信じているわけではないけれど、そういう気持ちで生きようというか、生きてたな、あるときから。
だから、今日からも生きよう、と最終的には整理がついた旅であり、今日でした。
明日からは大阪の一日一日のことを書いていくつもりです。
本当はリアルタイムで毎日書くつもりだったので、後出し的に読むのは友人はあまりいい気分ではないだろうなと、思ったことはできる限り口に出すと決めて臨んだ旅行で、私にしてはたぶんかなり、これをいう必要があるかないかの判断を脳でせずに話した日々だったので、読んで違和感のないものになる予定。主観で言えば、わりとよい心がけだったのかなという気がする。
大阪にいたときはずっとエスカレーターに慣れなかったのに(主体的に右乗ったのは張り切っていた初日だけだった)、東京でもエスカレーター前で迷ってしまう。