秋・ひとり・生活の天才

木でできた龍の骨格だけの大きい船が出てくる演劇を博多に観に行く。ヨーロッパ経由で、うつ伏せで乗るバスに乗って行く。始まる前の舞台裏にいて、主催が陳暁夏代さんで、めちゃくちゃフレンドリーで、龍の船が組み上がるところを2人でクリーム色の模造紙の上に寝転がって見ていたら嵐に挨拶される。博多の川をその船に乗って下る。

高2のときのクラスにいる。歌唱テストがある。クラスメイトがラッパみたいな声で歌い上げている。

昼休みにお弁当を食べようとしたら、嫌いなクラスメイトに「1時間後に地震が来る」と言われ、彼女は泣き崩れた。みんなバタバタとしている。今日は防災訓練かあと思う。

本日の夢。


赤いタンバリン』のMV、今まで観たことがなかったらしい。ベンジーが可愛すぎてびっくりした。「あの子のことが好きなのは赤いタンバリンを上手に打つから」にもうさあ、グッッッときちゃうよね。「流れ星1個盗んで目の前に差し出したときの顔が見たい」も天才だし「そんなに美人なわけじゃないが腰と肘とハートで軽やかに打ち振るう」ってとこも良い。目に浮かぶ。

これ、インスタのストーリーでツイートし出したら終わりだなと思って一晩耐えました。えらい。

あと最近あらためてグッときた詩は『フクロウの声がきこえる』。というかso宇、やっぱやっばい。

会社員になってからの方がエレカシ聴かなくなったの笑っちゃうけど、多分まだそんな気持ちになれるほど戦ってないのよね。


しかし最近の眠れなさとか、無性にずっと辛いものが食べたいところとか、仕事中にミルクの飴舐めちゃうところとか、これストレスが原因だなとだんだんわかってきた。仕事の疲れがすごい細かなちりつも感はある。どうしようかなあ。ストレスに弱いので、早めに原因を細分化して対処したい。慣れを待つにしろ、じっと耐えるのは苦手なもので。

とりあえず夏の間飲んでいなかったビタミンDを再開した。秋分だしね。


ニューヨークのニューラジオ、屋敷のエピソードトークが踊り場の森田の話と被ってて、それ優勝できないやつ!と思った。

けいちょんチャンネル、ニューヨークゲスト回面白かった。他は見る気わかない。

ニューヨークチャンネルの競馬回がめちゃくちゃ面白かった。競馬行きたいってずっと言っているけど、あらためて行きたくなった。

去年なんとなく友人と天皇杯に行く感じだったのに流れてしまったのが結構残念だったし、今となってはまだ普通には競馬場に入れないし。というか整備された競馬場行ってもしょうがないしなあ。本当に、やりたいことはやりたいときにやるに限る。わかってても忘れちゃうね。

とりあえず小虎チャンネルをフォローしました。


若林正恭の『社会人大学〜』と『ナナメの夕暮れ』を4連休で読み終える。いまあらためて読んでよかった、かもしれない。新しい発見はなにもないけど、こういう感情を、本当に同じように辿ってきたなと見直せた。


昨日はペラペラの靴でうっかり2万歩歩いたから肉体疲労が酷くて、湯船に浸かろう、そしてどうせならと、クナイプの眠れるらしい入浴剤を買いに行く。帰り道にバサラブックスと百年に寄って、読みてーという気持ちだけ持って帰ってきた。

「ストレス解消に本を読むと良い」なんてのは、なんか読書が崇高っぽいものに成り下がってしまったから適当に言ってるだけだろ、と疲労した脚を引きずりながら思った。本読みながら歩いてて怒られた時代が懐かしいよ。


会ったことも、ほとんど言葉を交わしたこともない人とこの前電話をして、「いまブログ書いてるんですけど、友人に『それ本にまとめたくない?』と言われて、でも結構面倒くさいんですよね、やろうと思うと」と話したら「私は人のために本を作ってるから、自分のためだけに本を作るってすごいいいと思う」と言われて、なんというかそれから、このブログとは別に、本当に自分のためだけにちゃんと文章書こうかな(本を作ろうかな)という気になってきた。忙しいね。

彼女は恋を「すごくお腹が空いているときに、それでも目の前の大好物を半分相手に分け与えられること」と言っていたので、「それは愛じゃないですか?」と言った。


秋色の紫陽花が好きなのだけど、あの子はそういう種類なわけじゃなくて、普通の紫陽花を秋まで保たせるとああいう色になるそうですね。


家を出る前の、人と連絡を取っていないと寂しい、と思ったら1週間も経っていなかった、という気持ちも、吉祥寺を歩いているとペットショップがたくさんあって本当にうっかり子猫を飼いそうになる、もう猫と2人でいいよ、という気持ちも、帰り道になんか満足しちゃって全然ひとりで生きていける気持ちになっちゃって、寂しさにフタをしそうになって、あらがって、でも一人で生きていけるなって気持ちも嘘じゃないことを忘れたくない。

大学4年生の6月、夜の飯田橋駅のホームで帰りの電車を待っているときに作った

正しさはさみしさと紙一重だと知って賢くなったつもりか

という短歌にいまだにザックリといかれる。