日本の夏、パリの記憶

暑すぎて、ヨーロッパのティーンエイジャーみたいな格好をして外に出歩いている。それができるようになったことを、なんとなくいいことだなと感じる。美学とはバランスだから、なにごとからも自由になることが正しいとは思わないけれど、私の中でひとつ自分で課していた規律というか呪縛から解き放たれた気がする。常にアップデートはしていこうと思っている一方で私は自分の身体のラインを結構愛しているのに、ある時期からなんとなく丈が短いものを履けなくなったのは、やっぱりなんか歪んでたんだなと思う。

ただ、今日ずっと気になっていたチャイナシューズを注文してみたので、常時チャコサンダルの人からチャイナシューズの可愛いお姉さんに進化する予定です。チャコサンダルはまた一緒に異国の地を踏もうね。


英語と馴染んでいくにつれて、どんどん日本語の醜いニュースや意見を目にすることに耐えられなくなってきて、有象無象が入り混じる場所で日本語を目にすることが不快というか不安というか、なんとなくメンタルにきていることを自覚し始めた。でもやめられなくて、ダメだなあと思って部屋に携帯を置いて、財布と本とノートだけ持って部屋を出た。

近所のスープカレー屋でスープカレーを食べて、散歩してたら銭湯がやってたのでふらっと入って、ふらっときたもんだから化粧水もないし、近所だからいいかと髪も半乾きのまま外に出て、暑くて、日本の夏始まってるなあと思った。これがシティーボーイ仕草かい。

携帯を持たない外出はすごくよくて、待ち時間は本を開いて、なにか思ったらノートを開いて。外にはベンチが沢山あって、道は少し暗くて、夜は行き場がなくて、これはこないだ友人と歩いた東京駅周辺のことであり、パリの記憶でもあって。早く行きたいなあと思う。

今日も『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を読んでいた。フランス・ヨルダン旅で読む本を募集したときに友人に薦められた『たそがれビール』の方がヨーロッパ上げで書かれているのに、一度も読み返してない。不思議だね。憧れよりも、負の部分を背負った上でそれでもそちらの生き方を選びたい、という気持ちが強いからかな。


そういえばair pods pro、lightning-USB-Cのケーブルが付いていて、アダプターは付いていなかったから、なんかずっとアダプター買うまで充電できないなあと思って放置していたのだけど、普通にlightning-USB-Aで充電できることに気付いた。マスクとイヤホンのコードがうっとおしかったから、また快適イヤホン生活が戻ってくるのが嬉しい。


オルビスユーのクリーム、お風呂上がりしばらく放置したかさついた肌に塗っても一瞬で水分油分が浸透していくのを感じられたのでめっちゃ推せます。