踊ってたほうが可愛いよ

私は完全に忘れてたからなんだけど、昨日一度も「もう7月終わるね」って話をしなかったのすごい。「梅雨明けそうだね」の話もしなかった。友人のなんらかの意地だったのか、お互い興味がなかったのかわからないけど、いずれにせよ面白い。

昨日自分がした話を思い返すと、なんか奇跡みたいな生活してるな私、と思う。すべて自分の中の転換点後のことなので自分の行動が要因ではあるのだけど、でも決定的には本当にたまたま人に恵まれていて、みんなありがとうねの気持ちと同時に再現性がないなあという気持ちがある。けどまあ漠然とこれからもなんとかなるでしょうみたいな感覚はあるなあ。ありがたいことに。


ロエベがゾウに続いてヒツジを出したことを知りホームページを見に行った。可愛いけど本当に値段が可愛くない。まあでもあれは「こちらロエベでございます」というブランド力があるから意外と合わせやすいかもと思うだけで、ZARAで売ってても買えないよなあ。と思ったけど、あれだけ可愛いかつスタイリッシュだったら買ってしまうかもしれないな…。黒いワンピースにヒツジを斜めがけしたい。


最近、そもそもは人が来たとき用に買ったそこまで気に入っているわけではない折り畳みテーブルを出しっぱなしにせずにちゃんとしまうようにした。QOLがかなり上がる。本はやっぱり床より椅子に座って間接照明とデスクライトで読むのが落ち着く。もしくはもう寝転がるか。よく知らない音楽をかけておくと人の家みたいで完璧。

ただ、これをやると会社用のパソコンをいちいち片付けなきゃいけなくて面倒なのが悩み。物を仮置きする場所が床しかないのがダメなのだと思う。サイドテーブルとあと姿見を買いたいなと思いつつ、多分しばらく買わない気がする。気分的に。

最近買って本当によかったものはIKEAフットレスト


久々に読む本を開いたらハバナの美術館のチケットが出てきてよかった。ノートにきっちり切り貼りしてまとめるより、本を開いたら出てくる方が嬉しいから旅ノート的なものを作ろうと思わない。マメじゃないのもあるけど。地球の歩き方を開くといろんなものが挟んであって好き。

久々に読む本というのはウェルベックの『ある島の可能性』なのだけど、これは自分の肉体が死んだとき次の肉体(後継者)がやってきて、部屋に残された日記(人生記)を読んで自分を理解して、自分の使命は次の肉体のために日記を綴ることだけ、という世界の話で、この本を取り出したときは考えなかったけど、この本が読みたくなるのは昨日の会話を思い返せば必然だった。物語がある。そのことに別に安心はしなかった。ふーんと思った。

昨日は「2年間家から出られなくて誰とも会えないと決定されたらもう死んでもいいなと思う」と言ったけど、今みたいに先が見えないまま延長の繰り返しならともかく、2年間と言われたら過去から始めて人生記を書き続けるのもいいのかもしれない。というかそうしている気がする。この物語も、自分の部屋からは出ることができなくて、コンピューターでだけ誰かと繋がれる世界で、いま誰が存在しているのかもわからないんだけど、その感覚はこの前あったし、それでも書いてたな。


最近ココアにハマっている。ちゃんとピュアココアを小鍋で練って火にかけて作るやつが美味しい。

踊り出したいくらいいい天気で嬉しい。

 

いまは三菱一号館美術館の正面のお店のテラス席で、ジンジャーエールと文庫本で友人を待っている。隣の席にはヨーロッパ系の男性と日本人女性のカップルがいて、私はやっぱ日本人が好きだなあと思う。まあ付き合ってしまえば楽しいんだろうけど。