新しい考えごと

仕事中、家でダラダラしていたら友人から「梅雨明けは8月になったらしない説、定義が『8月になったら』ではなかったので訂正しときます」と連絡が入り、自分かと思って笑ってしまった。言ったことの訂正連絡してくる人って意外と少ないと思う。彼がどれくらいのテンションでLINEしてきたのかは知らないけど、私は自分が間違ったこと教えたときはかなり神経質に気になる。けど、キリがないのであまり考えないようにしていたりする。本当は「立秋をすぎると梅雨明けを発表しない」だそうです。


ところで仕事がない。自分で言うのもなんだけど少し頭を使う単純作業(勉強で言えば大学受験の数学)を飲み込む速さがそこそこあるので、先輩から説明されてお願いされた作業をわりとすぐ終わらせてしまい、先輩はいまちょっと忙しそうなので、どんどん確認してもらうものだけが溜まっていって申し訳ない。で、国語の時間は教科書読んでた派の人間なので「じゃあ空き時間あの資料に目を通しておいて」と言われてもすでに読んでいる。もうちょっとビシバシタスク投げられてヒイヒイ言いたいのだけど、困らせちゃうしなあと思ってゴロゴロしたり勉強したりしています。


『千夜獏曳』より『砂丘律』の方が好きだったと前に書いたけど、あらためて読むと『千夜獏曳』もやっぱりいいな。仄暗くて生々しいので『砂丘律』の未練がましいけど爽やかで美しくまとまっているものを想定して読むとウッとなるけど、でもそういう感情は存在するよね。


なんとなくのもやもやをやっと理解できたから書くのだけど、女の子のことを好きになれないのが本当に悔しい。人のこと、「男か女か」じゃなく「人間だ…」と思っているのは本当なんだけど、やっぱり女の子は好きになれなくて、区別してんじゃんって認めざるを得ない。それを認めるのが嫌だったから多分今までこの感情を理解できなかったんだなあ。ずっと避けてたけど、異性でしか埋められない心の部分があることといよいよ向き合わなければいけなくなってきた。私の中で認めるということは向き合うということなので。まあでも最近は考えることもワンパターンになってきてたしいいのかな。私の思考の中で異性という存在、かなり新鮮です。

同性にどうしようもなくあなたじゃなさ、私じゃなさを感じてしまうとき、寂しいね。