この感情との向き合い方の答えがいまだに出ない思考メモ

人と会うと、次の日にさみしさとのバランスが崩れる。いつも今日はもういいやと思うのだけど夜には落ち着いてきて、なんとなく日記を書き始めて、だからいつも整理した言葉と思いしか書けない。

さみしいという感情を無視する方法も、受け入れる方法も知っていて、でも寂しくならないことをあきらめたくないなとある日思って無視から受け入れる方法に変えてみたけど、結局無心で受け入れてしまえば何にもつながらなくて同じことだなって。まともに向き合ったら正しくいられない。過度に感情に振り回されてそれを表に出している人を馬鹿だと思ってるし、でも正面から感情と向き合えて強くていいねって自分の被害妄想に使っちゃうけど、私が一番人に甘えようとしているのだと思う。「君は一人で生きていけそう」ってよくある台詞だけど君が悪いと思うよ。

正しいとか正しくないとかいつもそういう話をしてるけど、寂しいという感情に振り回されて連絡するのは悪なんてルールはなくて、会いたいのかさみしいのかの違いなんて誰も気にしてなくて、だから健全に潔白に生きたところで誰もほめてもくれないし認めてもくれないし、ただ自分が虚しくなることを知っているからやらないだけで自分のためでしょう。辛くなるから論点ずらすの不毛だからやめなよ。

だからって自分に特別欠点があるとか、あるにしてもそれが原因だとかでは決してなくて、世界は誰の悪気もなく回っている。

分かり合える人がいないわけでも、分かり合おうとしてくれる人がいないわけでもなくて、私が自分が自分を素直に受け入れさえすれば満足できると勘違いしてある程度の生きやすさと引き換えにわかってもらおうとしなくなっただけだ。だめでした。

いまは見知らぬ土地に逃避する手段がなくて辛い。

 

今日は『キャッチミーイフユーキャン』と『トゥルーマンショー』観ました。どちらも悲しみのあるコメディでよかった。