なにを信じるか

人を誘って遊ぶことを解禁してしまった。久々の美味しい日本酒と美味しい料理で友人と飲むの最高でした。

職場が近い友人と時差出勤で早めの退勤時間が被ったので近場でサクッとのつもりだったのに、いつもの場所で長々と終電までいてしまったことは反省してる。

でももう、これまでのペースでは飲まないにせよ、不要不急の外出を控える生活も、三密や新しい生活様式を絶対的に意識するのも無理。無理じゃないけどもう無理。すいません。仕事中心の脳にできあがってないので、無駄な通勤を指示されたらそれ以上に厳しいルールを私生活に課すのは無理。

私の中で理屈が感情を上回れるのは、曲がりなりにも筋を通して世界が動いているときだけなのだと痛感した。筋を通して世界がまわっていることなんてないに等しいのだから理屈なんてくだらないものだ、という結論ではなく、理屈なんてくだらないものだという結論を出すという、自分に対するグレ。

「立派なこと言ってるけど死者数が多い国より日本のほうが偉い」みたいな言説はよく聞くけど、私は曖昧な結果論より知性の国で生きたい。知性がなにごとにも勝る正しさなのかはわからないけど、私はそれを信じたい。そのほうが自分が快適だから。性格の問題。


朝、日比谷公園に行ったら花が咲き蝶が舞い小鳥が歌っていて楽園かと思った。


電車の中マスクのままキスしているカップルがいて、佐々木あらら

慣れてゆく マスクのままでするキスに リモートでする社内不倫に

という短歌を思い出しておお、と思った。効果はともかくそうなるのか。

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