日常のようなもの

5月20日。4月2日以降、そして配属されてから初めての出社だった。会社に着くまでに1度乗り換えがあるけどどちらも座れて、快適に本を読みながら通勤できた。

今暮らしている場所は実家ではないけどよく遊びに来ている場所だったし、学校帰りにこちらに来るときはいつもなんと言っていいかわからないけど感情があったのに、今回は久しぶりに乗った電車という乗り物に慣れず、電車の中で本読むってこんな感じだったっけという思いのまま目的地についてしまった。

乗り物に乗るの好きだったんだけどな。あの感覚も取り戻せなくなるのだろうか。失っていたことに気が付くことすらできていなかったことが恐ろしい。

時差通勤で8時出社のさらに40分程度余裕のある電車に乗り、出社前に日比谷公園を散歩した。ずっとエレカシ野音が当たらないので実は野音でライブを見たことがなく、特筆すべき思い出はないのだけど、そういえば友人と「去年TokyoMaps行ったみたいに今年はくるり野音で集まろうよ」と話していたのを思い出した。みんなでお酒飲みながら聴きたかったな、くるり

日比谷公園を出て下を向いたら東京オリンピックのマークのマンホールがあったのでムカついた。

 

IT企業はひげでロン毛でダルっとスーツを着ている人が一人はいるので息がしやすい。

社用PCがレッツノートからsurfaceになった。見た目がかっこいいだけでやる気が出る。

 

帰りに行きつけの飲み屋に2ヶ月ぶりに立ち寄った。いつもの軽くは本気じゃないけど今回は本当に1杯で帰るつもりだったのに、結局2杯飲んでしまった。もう飲めないかと思っていたホットラムがまだあって嬉しかった。

働き方改革の話やコロナの動向なんかも話しつつ、相変わらず「ついにゲームオブスローンズを見始めた」とか「マックのチキンタツタが美味い」レベルの話もしていて全然変わらなくて楽しい。あと東京都のHPとか、ちゃんと一次ソースを当たって考えているめんどくさいタイプの人と話せると安心する。結局世間話もめんどくさいタイプの人と話すのが一番楽しい。話すときに前提となるルールが同じだからだと思う。

 

昨日は初めてオンラインイベントに課金をして、『ハイパー~』の上出さんと陳暁夏代さん(なんの人か知らない)のトークイベントを見た。zoomでの開催だったけど、いつものイベントに行く時と同じように楽しみにできる感覚に驚いた。

有料のトークイベントかつオンラインは多分相当面白い話が聞けるんじゃないかという予想はやっぱり当たりだった。なにも書かないけど、ほぼ全部メモしたくらいいい話だったな。自分の上位互換(というか自分の極端な部分をさらに極端に振ったような人)が好きなのは、生き方として間違ってないってことなんだろうと思う。

そのあと友人と25時まで電話をしてから寝た。

 

お酒飲んで帰ってきてぐだぐだのまま寝たり、友人と話してて次の日の朝眠かったり、日常ってこんな感じだったかもしれない。よくわからない。元気だけど謎の憂鬱が根底に横たわっていることを感じる。もうもとには戻れないのかもしれないと感じる。良し悪しではなく。それは良しとするしかないものだから。

「日本は好きだけど、苦痛な部分が好きを越えちゃったな、最近は」と言ったら「まあ自分の感覚は大事にしたほうがいいんじゃない?」と言われたのが嬉しかった。

酔ってるときもしゃべるけど、眠いときのほうがいろいろ話しちゃいがちな気がする。

 

The 1975は熱心に聴いているわけではないので毎度の盛り上がりを見るとあんまり下手なこと言えなくなるんだけど、『Notes On A Conditional Form』よかったなあ。