殺しと文はテンポよく

雨だと聞いていたのに、起きても雨音がしなかった。が、窓を開けたら土砂降りの雨で、昨日ベランダに干した傘が濡れていた。

大通りに近い部屋のはずなのに、あまり音が気にならないなと思っていたけど、窓を開けておくとまあまあな音がする。窓は偉大だ。暖かくなったら開けておきたいけどなあ。


結局、昼過ぎまで低気圧のせいで床に倒れ込んでいた。午前中にしたことといえば、『凪のお暇』の7巻をKindleで読んだことくらいだ。

夜の図書室で5巻まで読んで、すごく少女漫画が読みたくなったときに6巻を買い、発売日に7巻を買う。そこまで響いていたわけじゃないけど、ほとんど漫画を買わない私が2巻も買ってしまうのは、それなりに面白かったってことだろうか。でも消費には合理性を求められないよな。消費は、散財で発散できるストレスと、吟味するという負荷とのバランスだと思う。私は散財するための買い物はあまりやらないけど。


雨が上がってもなんとなくシャキッとはしないまま、ジョン・ウィックでも観るか、とチャプター2を観始める。1の時もそうだったけど、軽い気持ちで観始めて、結局めちゃくちゃ集中して観てしまった。かっこよすぎるのでしょうがない。

殺し屋のクラブパーティーみたいなシーンだけちょっとおかしくて、佐久間さんの「ジョン・ウィックの世界は殺し屋の比率がおかしいのよ」という言葉を思い出した。あと、定期的によくわからない肉弾戦になるのがランボーかよと思う。

ジョン・ウィックを観ていると、私が車に興味ないのって、やっぱり今の車が高級車も含めて全然かっこよくないからだよなあ、と思う。クラシックなマスタングもシボレーも、イーストウッドのグラントリノも、あれなら乗りたいと思うもんなあ。


夕飯を作りながら、ザ・マミィのリモート近況報告生配信を観た。最近人と話さなすぎてなにが面白いのかわからなくなってきた、という話をしていて、それに近いような話を他でも聞いたことあるなあと思い返してみたら、その人もNSC行ってた人だった、そういえば。

言われてみれば、たしかに笑いって観察から生まれるものだよなあ。逆に人間の営みをベースにしない笑いってあるのかな。気になる。


書くことを考えるときに、私がいつも気になるのは文章のリズムで、私は4年間理系大学生としてのレポートを書き続けていたので、文章が短調すぎてグルーヴがない気がするのが悩み。どうやったら習得できるんでしょうか、文章のグルーヴ。たとえば小説を書くなら、グルーヴ優先に内容を変えてもいいんだろうけど、日記は事実を変えるわけにはいかないからなあ。

ジョン・ウィックの殺しくらい気持ちいいリズムの文章を書きたいものです。