暮らしをDIYすることを選ぶ

とりあえず、というものをなかなか買えなくて困る。皿や箸や茶碗を一生買えない気がする。


今日は洗濯機、冷蔵庫、電子レンジが届いた。一人暮らしをしていると、部屋の管理者が私しかいないと思うので、水滴とか汚れとか、実家にいる頃よりもこまめに拭いたりするようになる。いまはとにかく家事が楽しい。洗濯物干すのもヒップホップな生活をしている。


『所さんの世田谷ベース』の「君は暮らしをDIYしているか」という回の冒頭に喋ってる考え方が、私の暮らしに対する考え方そのままで驚いた(あれはおそらく一般人に対して説得力を持たせるためにお金を例にして話してるけど、私にとっては、多分彼にとっても本質はそこじゃないと一応言っておく)。目標は所ジョージか。アリだな。所ジョージになりたい女子大生。所ジョージになりたいOL。なんてキャッチー。所ジョージになりたいエンジニア。普通。


自分ではそんなに珍しいわけでもねえよって思ってるし、そういうところを売りにする気もないんだけど、私のような趣味や考え方をする女性は、まあ珍しいらしい。というか最近気付いたけど、男女問わずそもそも少数派っぽい。でも男性がやってる分には違和感がない。それに対してジェンダーロールが云々と言う気はないけど、私は「(女の子なのに)珍しいねー」と言われるより、「いいね」と言ってくれる人が好きだ。


センスがいいとは思われたいけど、女の子なのにこれをやってることが変わっててセンスがいいと思っているわけではない。

正確には、センスがいいと思われたい気持ちはあるけど、センスがいいと言われなきゃ満たされない気持ちはなくて、センスがいいと思われたいためにセンスがいいと言われそうなことをやっているわけでもなく、私がかっこいいと思う生き方をしていてそれは実際にかっこいいからかっこいいだけなのだ。けどいいねと言われたい気持ちはちょっとだけあるから厄介。

僕おもの「自転車の思い出」の回を聴いていたら、あららさんが「補助輪なしで自転車に乗れるようになったときに母に報告しようとしたら、母が近所の人と話していてなかなか報告できなくて、そこからなんか、できるようになったことの報告とかもういいやってなった」という話をしていて、それだな、と思った。私の生き方ナイスでしょ、と思っていたけど全然理解されないからもういいや、となった瞬間が多分ある。別に君たちに理解されなくてもナイスだし。


まあでも本当は、承認をくれる人より同じ目線で話せる人が1番嬉しい。旅も学問も趣味も、「すごいね」「センスいいね」は同じじゃないから出てくる言葉で、そこから発展はないけど、具体性は違えど本質が一緒なら、面白い会話ができるから楽しい。なかなか出会わない。


架空OL日記を観て、私にはこういう人間関係できないんだろうなと思った。