共依存だった恋人を引き剥がすことも、SNSをやめることも、過ぎてみればどうってことないのだと知っている。
その感情は思い込み、もしくは思い込みだと消し去ることができると知っていることがたまにおそろしい。
逃げずにもっと呪われて呪われて生きるべきではないのか。
2017.03.14-16
友人と2人で台北に行く。
1番手紙を書いてくれていた友人で、成人式で再会して「話してた台湾旅行実行しようよ」と改めてメールアドレスを交換した記憶がある。
海外に行こうと思ったきっかけはサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖地巡礼をしたかったからで、多分その話を手紙でしたんだと思う。
このはじめの目標は、神田松之丞(当時)の新婚旅行のエピソードを聞くまですっかり忘れていた。小袋成彬の1stアルバムが発売されたときはまだ覚えていたのだが。
初めの頃の感動や旅への強い欲求を思い出したいと書き始めた旅の回想録だが、言語化しようと思うと意外と思い出せない。
2016年の夏にシンガポールに住んでいる友人の家に1週間ほど遊びに行っていたのだが、そのときも1番強烈に記憶に残っているのは成田空港から自宅へ帰るときに感じた、日本ってほとんど日本人しかいないんだなと気付いたときの得体のしれない気味の悪さだった。
(そのときを思い返すと、3年で日本はずいぶんと景色が変わったなと思う。鎖国感が消えたわけではなく、そうならざるを得なかっただけなのが残念ではあるが)。
台北では古さと新しさが入り混じる町並みのかっこよさにワクワクした。臭豆腐屋の前では友人と息を止めて歩いた。ご飯がすごく美味しかった。そんな記憶がある。
印象深く覚えているのは、屋台で働いているおばちゃん達は数字すら英語で言えないと知ったときのことだ。おばちゃん達は、ジェスチャーで注文を取るか、「ちょっと待ってて」と英語が少しだけわかる若い子を連れてくるかで、そのとき初めて、貧困や教育や歴史に真の意味で考えを巡らせたように思う。
台湾に行って1番良かったのは、とある人に出会えたことだ。世界一周をしたことがある人で、当時は医学部生だった。
彼とは台湾ではほとんど映画とジャズの話しかしなかった気がするが、少しだけ旅のことやカメラマンになりたかった話をしてくれた。
旅をしていたときの出来事は彼の人生観に深く関わっているのだと感じ、それがとても羨ましかった。私も様々なことを自分の目でみて、感じなければいけないと、強く思った出来事だった。