は、だいたい百個くらいあって。
高校生のときの私は超ド級の厭世家で、大衆受けする音楽も、同世代の音楽好きが評価する音楽もひとくくりにして嫌っていた。中二病ともいえるし、冷笑系マウンティングがネットにはびこっていた時代の被害者ともいえる。
一つだけよかったのは、極右思考などに走らず、古い映画や音楽や純文学にはまっていったことだろう。
厭世の果ての私は、高校卒業と同時に「俗なものはダサい」とSNSをすべてやめた。
数人の友人は私に付き合って手紙のやり取りなどをしてくれていたが、頻度は高くなく、もちろん会うこともなく、浪人中は共依存状態の当時の恋人以外とのつながりはほとんどなかった。
1人好きの私には、親友と恋人を兼ねたパートナーが一人いるだけで十分だった。
だが、外とのつながりを持たずに厭世的な思考を持ち続けることは、今思えば精神にかなり負荷がかかっていたように思う。とにかく生きることに疲れていた。
あるとき恋人に「バイきんぐの小峠のブログにブランキーの話が出てくるから読んでほしい」と言われた。
活字中毒の私は、ブログを移設する前の過去のブログまですべて読んだ。
小峠のブログには、毎年の歩行際のこと、なにかを成し遂げようとルールを決めて毎年1年間それを守り続けたその感想などが書かれていた。
世の中にはこんなに面白く生きてる人がいるのかと衝撃だった。
それと同時に、今までなんてつまらない生き方をしていたんだろうと思った。ここから脱すべきだと思った。
脱するために、私もルールを決めた。小峠が一年間やっていたルールを真似して「誘いは予定が空いていれば断らないこと」。そしてもう一つ「行きたい、観たいと思ったらすぐにチケットを取ること」。
つまり私が旅に出る理由は、行きたいところがある、観たいものがある、その存在を知ってしまった、ただそれだけのことだ。